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岩崎 貴宏さん
「この人と話したい」は、活躍している学生?卒業生?教職員から、学長が話を聞いてみたい人を学長室にお招きし対談する企画です。
今回は、本企画の第5弾として、「第57回ヴェネチア?ビエンナーレ国際美術展(2017)」において、「国際交流基金(ジャパンファウンデーション)」が主催する日本館展示の出品作家として選ばれました本学芸術学研究科修了生の岩崎貴宏さんにお話を伺いました。(対談日:2016年7月5日)
青木 ヴェネチア?ビエンナーレの日本代表作家としての選出、あらためて、おめでとうございます。
岩崎 どうもありがとうございます。
青木 岩崎さんは卒業生の中でも本当に広く活躍されている方だから、もともとお名前は知っていましたが、今回、いよいよ本格的な作家が、世界に認められる作家が出たんだなあと、やっぱり感慨深いものがありました。
岩崎 ありがとうございます。
青木 率直なところ、決定の通知もらったとき、どういうお気持ちでしたか。
岩崎 やっぱりちょっと信じられなかったですね。
青木 ヴェネチア?ビエンナーレは何年の歴史ですか。相当古いですよね。
岩崎 僕が学生のときに行ったのが100周年くらいで、そこから20年経ちましたから、120年くらい。だから長いですね。なおかつ、そういう国際展の中では古いですし、やっぱり一番名誉ある国際展ですね。
青木 たいへんな名誉ですよね。その中の日本代表ということですよね。広島市立大学は芸術学部を持っている大学として誕生したわけですけれども、まだ歴史は長くない中で、国際的な展覧会で認められて、作家として本格的に名が売れる人が出る、それがまた1期生からということで、感無量なところがありました。作品としては、今までつくられてきたものも展示されて、プラスアルファでこれから制作されるのですか。
岩崎 今までつくったものは一切出さずに、これから全部つくらなきゃいけないんです。
青木 岩崎さんの作品にはシリーズがありますよね。リフレクションのシリーズと、アウト?オブ?ディスオーダーっていうシリーズ。
岩崎 そのシリーズの延長で新しいものをつくります。その美術館に合わせたものを、新たにつくるっていう感じですね。7月9日から、ベネチアへ下見に行きます。行って、場所を測ったり、サポートしてくださるイタリアの方たちと打ち合わせしてきます。素材もできるだけそこで探したいですね。その場で戦うっていうのが僕にとって重要です。格安航空券だとか夜行バスだとか、いろんな交通システムも整っているし、目に見えないネットワーク、ネットとかWi-Fiとかスマートフォンとかで、情報を拾える。こういう情報や物質の移動が簡単に行われている状況の中で、グローバル化が進行していますよね。だから、ものを日本から移動させるよりも、人材が移動して、そこで知識や経験を展開させるっていう戦い方に僕は興味があります。
青木 いろいろ質問したいことはあるんですけれども、まずは、現代表現っていう領域について聞かせてください。最初はとにかく海外のアートカタログなどを山ほど見て、それがすごく刺激になったんだということをお聞きしました。わりと最初から現代表現の領域で身を立てて創作活動をしようと、ずっと思われていたんですか。
岩崎 いえいえ。中学校のときは漫画家になりたくて、高校のときはデザイナーになりたくて、デザイン工芸学科に入ってきたっていう経緯があるので、彫刻とか油絵とか、いわゆるファインアートで食べていけると思っていなかったです。デザインのクライアントがあって給料報酬と対価で仕事をするやり方のほうが、リアリティーがあって。高校まで広島の美術業界しか知らなかったんですが、大学で海外の現代アートの洋書をたくさん見せてもらったら、海外では現代アートがポピュラーな文化で、社会的地位もあるし、文化人だし、それだけで食べていけそうだなと。じゃあ、自分にもできないかなと思って。
青木 少し失礼な物言いになるかもしれないけれども、芸術と言った時、多くの場合は、例えば油絵であるだとか日本画であるだとか、そういった伝統的なところから入って、その後現代表現にいく人が、日本の芸術学部の学生には多いと思います。教育の体系としては、デッサンとかどちらかというと伝統的なことをやっていく感じが日本ではあって、海外はどちらかというと、わりと最初から現代表現に飛び込む人がいる。日本だったら食べていけるかいけないかも含めて、あんまり最初から現代表現に飛び込むっていうのは、珍しいなと思いました。
岩崎 日本ではデッサンのようなアカデミックな技法を学んでから大学に入るんですけど、そのデッサンの習得は漫画とは違う技術が必要なので高校生にはすごく大変なんですね。そのデッサンを身に付けて大学に入って、海外のアートから影響受けて、だんだんアカデミックな表現から現代アートのような、見た目が自由な作品をつくっていく学生が多いんです。僕の場合は最初に自由な表現が面白いと思ってあこがれてたけど、ふと気付いたとき、このような表現を真似しても、オリジナリティーを絶対的な基準としている海外のアートシーンでは二番煎じになるから、僕がトラウマになるぐらい頑張って身に付けたデッサンや技術をあらためてとらえ直して、それで海外へ出て勝負したほうが面白いんじゃないかって。海外ではアカデミックなデッサンを身に付けて大学に入ることはないんですよ。だから、技術がないから精巧なものとかつくれなくて必然的に自由な表現になるんですよ。細かいものもつくれないし、工芸的な精巧な表現が苦手。どっちかだと思うんですよ。(アカデミックなことを)最初からやらないんだったらやらないで、もっと海外で適用する思考やアイデアを鍛えるか、せっかく訓練して身に付けたんだったら、その技巧を生かして戦っていくか。
青木 日本であれば、まず必ず基礎教育を積ませる。ですが、それを生かすっていうよりは、学生たちはどちらかというとそれに縛られている感じのほうがあるのかな。
岩崎 僕が後輩を見ていて思うのは、デッサンをさせられたから、すごくそれが負の要素になっていて、そこからいかに脱却するかっていうことで一生懸命あがいているように見えます。デッサンをやらなくてもいいんですけど、僕らはやらないと大学に入れなかったから、だったらポジティブにとろうって思います。この状況をネガティブにとるべきじゃなくて、チャンスじゃないですか。ほかの(海外の)人はやってないんだったら。そこから脱却するんじゃなくて、どうせ訓練したんだから、それはアドバンテージとして、それ生かそうって思います。
青木 なるほど。
岩崎 それから、僕は広島に生まれて広島に育って広島市立大学に来て、せっかくヒロシマっていう世界的に知られた都市に生まれ育って人とは違う感覚を持っているんだから、それをわざわざ東京に行って薄めなくてもいいだろうとも思います。みんな卒業しちゃうと、優秀な学生ほど東京に行っちゃって。でも生き方のプロセスそのものにオリジナリティーを意識できれば、必然的に作品は面白くなるはずなんですよ。でもみんな東京に行っちゃうと、プロセスが同化しちゃうから、後は微妙な差異の中での勝負になるんですよね。オリジナリティーの在り方を考えないといけない。
青木 今お話を聞いていて、少しずつ疑問が解けてきました。岩崎さんが使われる言葉で「戦う」っていう言葉がある。その言葉が、今の岩崎さんをつくったような気がするんですけど。
岩崎 ああ、そうですね。
青木 「その場で戦う」とか「海外で戦う」とか、「戦う」っていう言葉が出てきますよね。そして、戦うために今自分が持っているものは何かとか、身に付けてきたものは何かとかいうのをすごく意識されている。
岩崎 そうですね。
青木 それからもう一つ。「これで食っていける」とか、その「食べていく」っていう言葉。大学時代から「何で勝負できるんだ」とか「何で食っていけるんだ」という発想で、自分が持っているものや自分が使えるものを意識されていたのかなと。多くの芸術を学ぶ学生たちは、やっぱり「うまくなろう」って思うでしょうけど、もちろんうまくなるに越したことはないんだけど、でもそれは、食べていくことにつながるのかとか、自分のオリジナリティーで戦うことにつながるのかっていう発想が、やっぱり今の岩崎さんをつくっているような気がしますね。
岩崎 そうですね。僕はそういうところが強いですね。父親が自営業でケーキ屋をやっていて、毎日ケーキをつくって楽しそうだなっていうのと同時に、帰ったら帳簿を一生懸命つけて「ああ、赤字か」とか言いながらも材料を注文して…っていう、そういう姿を見ているから、どこかに自分を自分でマネジメントしていくのが当然って発想があると思います。僕はオリジナリティーを求めて、好きなことをやっていきたい。それで生きていきたい。そのためにはどうやったらいいのかっていうことを考えますね。
青木 では、もう一つ質問をさせてください。現代表現っていう領域のおもしろさと難しさは何だと思いますか。おそらく、油絵とか日本画とか彫刻とかのおもしろさと難しさとは、またちょっと違うんじゃないかなとも思うんですけど。
岩崎 現代表現を極めていくと、ものをつくるってことからどんどん離れてくんですよ。どんどんどんどん。最後はキュレーターのようになるっていうか。例えば現代表現領域じゃない学生は、木とか鉄とか石とかの物質を削ったりくっつけたりと物質と格闘して作品をつくるんですけど、キュレーターは、その作家同士をくっつけたり交換したりして、一つのテーマをもとに展覧会をつくるんですよ。それに似ていて、彫刻家は物質を相手にしますけど、現代表現はすべての事象を扱おうとしていて、利休が確立した茶道のように、表現に対する思考や作法、人や社会、政治との関わりみたいなものまで扱っていく。突き詰めていけばいくほど、物質から離れていって、かつて利休が作った「限定された茶室でお茶をのむプロセスが芸術」に近い感じが現代表現の中にあって、それが僕にはすごくおもしろくて。
青木 なるほど。
岩崎 というのが、分野を超えられるから。ものをつくろうと思って勉強していたのが、いつの間にか政治学とか哲学とか科学とか物理学とか量子力学とか、そういったことを一生懸命勉強していて、宇宙学者の話を聞くのがすごくおもしろくて、「それどうやって表現に落とそうか」ってことを考えていて。だから社会と対話しているのが、僕にはすごくおもしろい表現分野だと思うんですね。
青木 今のお話からすると、片方にマネジメントがあって、もう片方に自分が創作する作業があって、マネージャーと作家の行き来の中に、現代表現の作家が存在するんですね。
岩崎 そうですね。そこに到達できるのが目標ですけどね。なかなか行けないです。
青木 なるほど。じゃあこれからの岩崎さんの目標は、作家である一方で、もう一つキュレーターを目指す岩崎さんとして、ほかの作家もマネジメントしていきたいという思いもあるんですか。
岩崎 興味あります。広島でアートシーンをつくりたいなっていうのは、以前から思っています。僕が10年前に広島市立大学でティーチングアシスタントをやっていたときに、みんな卒業すると東京に行っちゃって、学生の才能を手塩にかけて育てて開花させた後、東京に全部吸い取られていく。僕らは大都市への人材育成機なのかと思って、広島でも作家活動できるのにって思っていました。その後10年間広島に拠点を置いて、広島で作家だけで生き残るすべをずっと考えて、少しずつ実績がたまってきた。40代中盤から後半ぐらいの自分のミッションだと思っているんですけど、今度は学生たちとか卒業生たちと一緒に広島でマネジメントできないかなって、アートシーンつくっていく方法を模索できないかなって思うんですね。そういう夢はずっとあって。でもまあそれは、ライフプランとしてあるだけで、すぐやりたい、やれるってことではないんですけど。
青木 最後になりますが、後輩にぜひ一言、今の岩崎さんが残すとしたら、どんなことがありますか。
岩崎 やっぱり視野を時間的にも空間的にも広く持たなければ、趣味で終わっちゃいます。大学卒業してやめちゃえば、日曜大工と変わらない趣味になっちゃう。それで食べられるわけじゃない。時代も世界も社会も変えられない。アートには時代や社会を変えて、歴史に残っていく力があると信じているから、そういうところで僕は勝負したいし、学生の皆さんにも勝負してもらいたい。ってことは、やっぱり社会を知らなきゃいけないし、時代の流れを読み解かなきゃいけないし。表現の幅広さを知らなければいけない。自分は10年後、どこでどうしていたいか。自分の表現をどう昇華させたいか。金銭的、言語的に誰に評価してもらいたいかっていうことを、広い視野を持って時間と空間を超えて見ていると、必然的に今やらなきゃいけないことが見えてくると思うんですよね。そうしたときに、広島市立大学の3つの学部、国際学部、芸術学部、情報科学部っていうのは、機能し得るって思うんですよね。例えば僕は図書館によく行っていたんですけど、1年生のときは芸術のコーナーしか行かないじゃないですか。でも、横に建築がある、「あれ、建築おもしろいな」となる。その横の生物学も、建築と細胞壁は似ているなあとか思ったり、そうやって物理学、素粒子物理学とかに行って、哲学に行って…と、他学部の専門書に興味を引かれて図書館全体がどんどん自分のフィールドになっていく。あそこのコーナーに行こうかな、どこのコーナーに行こうかなって、領域が広がれば広がるほど、表現の強度は上がり、外で戦える素地ができると思います。
青木 なるほど。本日は長時間にわたり、ありがとうございました。また、今回のヴェネチア?ビエンナーレ日本代表作家選出、本当におめでとうございました。大学としても心から誇りに思っています。
岩崎 どうもありがとうございました。